AIは全人的苦痛を理解できるか

「全人的苦痛」は、1960年代に英国の医師シシリー・ソンダースが提唱した概念です。これは以下の4つの要素から構成されています。

  • 身体的苦痛:疾患や治療に伴う身体症状
  • 精神的・心理的苦痛:不安、抑うつ、恐怖などの心の反応
  • 社会的苦痛:家族関係の問題、経済的困難、社会的役割の喪失
  • スピリチュアルペイン:宗教的背景や人生の意味、目的、価値観、自己アイデンティティの揺らぎ

全人的苦痛の考え方が大事になる場面の一例として、在宅緩和ケアが挙げられます。患者さんを「病をもつ一人の人間」として捉え、「患者さんの生き方」「患者さんの想いや信念」「患者さんの人生の物語」といった部分に最大限寄り添い、身体・心・社会・スピリチュアルを統合的に支える必要があります。

AIが「理解できる」領域

AIは膨大なデータを解析し、パターンを抽出することに優れています。そのため、以下の領域で一定の理解や支援が可能と考えられます。

  • 身体的苦痛に関して:バイタルサイン、血液検査、画像データから痛みの要因を推定。
  • 心理的苦痛に関して:自然言語処理で「不安」「死にたい」といった表現を抽出。表情解析や音声トーン解析で抑うつ傾向を検出。
  • 行動・生活データ:睡眠パターン、服薬アドヒアランス、日常行動の変化から苦痛の兆候を予測。

こうしたデータを活用することで、人間が気づきにくい「苦痛の予兆」を早期に把握できるようになります。

AIが「理解できない」領域

一方、全人的苦痛に関して、AIが完全に「理解」するのが難しい部分もあります。

  • スピリチュアルな苦悩:宗教的な問いだけでなく、「自分の人生に意味はあったのか」「死をどう受け入れるか」といった深い実存的問題は数値化困難で、AIに対応を一任するのは難しい。
  • 周りの人との関係性:たとえば、家族との未解決の問題や葛藤、愛情の不足といった問題は、データだけでは把握できず、不適切な対応になる可能性があります。
  • 主観の違い:同じ状況でも「耐えられる」と感じる人と「絶望的で耐えられない」と感じる人がいます。この「主観の違い」も数値化することは難しく、AIが完全に理解することは困難です。

また、現在のAIには、コミュニケーションにおいて以下のような課題が残されています。

  • 文脈理解の限界:皮肉や婉曲的表現を正確に理解できない。
  • 文化的差異の影響:同じ言葉でも文化や世代によって意味が異なる場合がある。
  • 感情表現の曖昧さ:患者が直接「痛い」と言わずに苦痛を表すケースでは理解が難しい。

このように、「数値化されていない」「そもそも実用的なデータがない」場合は、AIが患者さんのことを正しく「理解」するのは難しいと考えられます。

例えば、がん末期の患者Aさんが「夜眠れない」と訴えたとします。
AIは疼痛の不十分なコントロールや抑うつなどを疑い、鎮痛薬の追加や抗不安薬の処方などを選択肢として提案できるかもしれません。さらに、過去の会話記録や家族構成データから「家族に迷惑をかけたくない」という思いを推測できる可能性もあります。
しかし、その背景にある「Aさんが人生をどう捉えてきたか」「家族との関係で何を大切にしてきたか」といった文脈までは理解できません。この部分は、人間でなければ理解できない領域といえます。

人間とAI、お互いの良いところを活かして共存する

AIは全人的苦痛を完全に「理解」することはできません。しかし、身体的・心理的・社会的な側面をデータから捉え、医療従事者に新しい発見を与えたり、新しい提案をしたりすることは可能です。

一方、人間は患者さんの社会的苦痛やスピリチュアルペインの部分に「共感」することにより、さらに深く関わることができます。今後様々なAIが登場することになると思いますが、人間はAIには正しく理解できない「心」の部分に積極的に介入するようになるでしょう。
つまり、在宅医療に関わる薬剤師は、これまで以上に患者さんの境遇に「共感」できるスキルが必要になるとも言えるのではないでしょうか。

人間だからこそできる「共感」と、AIの得意分野である「データの分析や予測」「生成AIによる新しいアイデアの提案」を組み合わせることで、患者さんの苦痛により深く寄り添えるようになり、お互いにとってより良い医療サービスの提供につながるでしょう。

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