「Delphi-2M」の研究から考える、未来の調剤薬局の役割
Learning the natural history of human disease with generative transformers – Nature Delphi-2M forecasts a person’s future health, covering more twww.nature.com
この研究は、私たちが普段使っている生成AIの技術を、「患者さんのこれまでの病気の歴史(既往歴など)」という領域に応用したものとなっています。
ものすごくざっくりいうと、「10年後のあなたは、こういった理由で、このような疾患にかかるリスクが高いと考えられます。」といった助言をするAIを実現するための研究です。
個人単位の「既往歴」をAIに学ばせる意義
これまでも、「今後10年で心疾患になる確率は何%」といった評価方法は存在しました。しかしこれらはあくまで「ある時点での患者さんの状態」を考慮して計算するもので、患者さんの人生という長い「時間の流れ」を十分に反映できているとはいえません。
そこで著者らは、「生成AIが『次の単語』を予測するように、AIに患者さんの過去のデータを読ませれば、『次に起こる病気』を予測できるのではないか?」と考えました。
研究チームは、ChatGPTなどで使われている技術「Generative Transformers」をベースに、疾患予測に特化したモデル「Delphi-2M」を開発しました。
患者さんの「健康にまつわるデータ」を学習する
1. データの「言語化」と学習
LLM(大規模言語モデル)がテキストを学習するように、Delphi-2Mは患者さんの健康データを、時系列の「物語」として学習しました。
- 学習データ:英国バイオバンク(UK Biobank)の約40万人分のデータ(電子カルテ)を使用。
- トークン化:1,256種類のICD-10診断コード(疾患)、年齢、性別、BMI、喫煙・飲酒習慣、死亡イベントなどを「単語(トークン)」として扱い、時系列に並べました。
- モデル構造:GPTと同様の構造とし、過去の「健康に関する出来事」の列から、次に起こるイベントとそのタイミングを、自己回帰的に予測するように訓練されました。
2. 外部データによる検証
AIの過学習(学習用データに過度に適応してしまうこと)を防ぎ、汎用性を確かめるため、全く異なる集団であるデンマークの約190万人分の健康データを用いて検証を行いました。この検証は、ファインチューニング(特定の用途向けに追加学習で最適化すること)なしで検証されました。
研究の結果
一言で要約すると、従来の単一疾患予測モデルと同等以上の精度を、1,000以上の疾患に対して同時に達成しました。
1. 予測精度の高さ
- 疾患の予測:次に診断される可能性がある疾患の予測において、平均AUC(予測精度の指標、1に近いほど高精度)は0.76でした。
- 死亡の予測:死亡リスクの予測においては、平均AUCが0.97という高い精度を叩き出しました。
- 汎用性:デンマークの外部データセットにおいても、ファインチューニングなしで平均AUC:0.67〜0.69を維持し、国境を超えても適用できる可能性が示唆されました。
2. 長期的な未来予測と「説明可能性」
- 長期予測:従来のモデルが数年先の予測に留まっていたのに対し、Delphi-2Mは最大20年先までのリスクをシミュレーションすることが可能とされています。
- 根拠の可視化(XAI):「なぜそのリスクが高いと判断したのか」を説明するため、SHAP値を用いた解析が行われました。
例えば、「将来の『虚血性心疾患』のリスクが高い」と予測された場合、その理由として「5年前の『高血圧』の診断」や「喫煙歴」がプラス(リスク増加)に働いた、といった具体的な貢献度が可視化されています。
このような仕組みにより、医師や患者さんは「なぜリスクが高いと判定されたのか」という根拠を知ることが可能になります。
3. 「架空の患者データ」の生成
Delphi-2Mは生成AIであるため、実在しない「合成された健康記録(Synthetic Health Trajectories)」を作成することも可能です。この合成データのみを使って別のAIを訓練しても、元の性能の97%(AUCで約0.03の低下のみ)を維持できることがわかりました。これは、プライバシーを侵害することなく、医療分野のAIを研究できる可能性を示唆しています。
注意点
- データの大半が白人(ヨーロッパ系)で構成されており、アジア人や黒人など、他の人種・民族に対する予測精度は十分に検証されていません。
- 参加者に富裕層や比較的健康な人が多い傾向(「健康なボランティア」バイアス)があります。そのため、貧困層や医療アクセスが悪い環境にいる人々に対して、モデルが正しく機能しない可能性があります。
- 外部検証としてデンマークのデータ(約193万人分)を使用し、高い精度を確認していますが、これもやはりヨーロッパのデータです。異なる医療制度や遺伝的背景を持つ非ヨーロッパ圏の集団で同様の性能が発揮できるかは、今後の検証が必要です。
- このモデルは主にICD-10(国際疾病分類)などの構造化データ(診断コード、年齢、性別など)を学習しています。カルテの自由記述(医師のメモ)や画像データ、遺伝子情報などを完全に統合しているわけではないため、そうした非構造化データに含まれる微細な情報は捉えきれていない可能性があります。
薬剤師として、この結果とどう向き合うか
この研究の結果から考察すると、「男性は40代を過ぎると…」という統計的な予測ではなく、「あなたの過去の病歴と、この検査値の推移からすると…」といった、完全にパーソナライズされた未来予測が可能になると考えられます。
そして、その未来予測の結果を知らされた患者さんが「将来このような病気になるリスクが高い」とわかっている状態で薬局に来られたら、私たちの服薬指導はどう変わるでしょうか。おそらく、「将来のリスクを下げるための、生活習慣の改善や良好な服薬アドヒアランスがどれだけ重要か」を、より具体的に、そして根拠を持って説明できるようになるはずです。
もしかしたら、患者さんは「AIに未来を決めつけられた」と感じて、口には出さなくても何らかの恐怖を感じているかもしれません。しかし、薬剤師が「リスクを予測されたことで、実際に病気になる前にリスクを回避できる可能性があること」を適切に説明できれば、患者さんの未来を変えることができるかもしれません。
この研究が日本ですぐに実用化されるわけではありませんが、「健康サポート機能」を備えた調剤薬局が、本格的に患者さんの予防医療に介入するようになる時代も、いずれやってくるのかもしれません。