AI時代の「忘れられない権利」から、調剤薬局の記録のあり方を考える

The Right to Be Remembered: Preserving Maximally Truthful Digital Memory in the Age of AISince the rapid expansion of large language models (LLMs), pearxiv.org

現代では、人々が日々残すデジタルベースの情報(投稿、通信、写真、記録など)が膨大になっており、さらに生成AIが回答を出力する際は、それらを加工・分析・再構築して「ひとつの統合された回答」を出力します。
こうした流れの中で、何が事実で、何が変えられた・忘れられたか、といった「デジタルの記憶」が曖昧になる可能性があります。

インターネット上のデジタルベースの情報は、永遠に残るように見えて、実は不安定です。リンク切れ、削除・非公開化、検索順位の変化、古いフォーマットの消失…などといった要因が、LLMの学習においてもRAGにおいても「知識の欠落」を生みます。
そして、特に生成AIで情報収集する場合は「ひとつの統合された回答」を見ることになるので、たとえ一部の「知識が欠落」していたとしても、ほとんどの人はそれに気づくことはありません。

今回の論文では、この問題に対して「忘れられない権利(Right To Be Remembered, RTBR)」という概念を提案しており、より正確なデジタルの記憶を守るための技術・制度・倫理の枠組みについて論じています。
著者らによると、現在の状況は「英語圏の情報・影響力のある機関が発信する情報」がさらに可視化され、「社会の中心から外れたコミュニティの情報・非英語圏の情報・古い資料に基づく情報」が見えづらくなる、記憶の不均衡を助長することになると述べられています。

論文中で提案されていること

提案①:記録の多様性を確保する

現行の検索や生成AIの回答では、データ上「目立つ情報」「大量参照された情報」「SEO最適化された情報」が優先され、「マイナー・少数派・データが少ない領域」の情報が見えなくなる(つまり、忘れられる)というリスクがあります。そのため、「どのような個人・コミュニティ・視点であっても、情報の記録・保存・およびそこにアクセス可能な状態を維持する」ように制度化すべきという提案がされています。

例えば、言語・文化・地域などの背景事情で過小評価されてきたデータも含めて、デジタル記録のアーカイブを作ることや、AIが生成・提示する情報において「複数視点」「多様な出典」が確保されるよう、モデル設計や運用ルールを整えるべきであると主張されています。

提案②:検証可能かつ改変に耐性がある、データに関するインフラを整備する

記録(投稿、データ、アーカイブ)を「いつ・誰が・どのように」作ったか、後から改変・消去されていないかが追跡できる仕組みを整える必要があるとも述べられています。これには、生成AIが回答を生成・要約・再構成する際に、「元データへのリンク」「変更箇所の明示」「オリジナルの記録の参照」といった部分を確保するという運用ルールも含まれます。

提案③:ガバナンス・説明責任についても検討する

本論文では、EUのGDPRにおける「消去の権利」や「忘れられる権利」が持つ意義を認めつつも、現在は逆に「記録が消える・アクセス不能になること(知識の欠落)」という問題も生じていると指摘しており、「個人の情報を削除できる」ことと、「社会的・歴史的に残すべき記録を確保する(RTBR)」ことのバランスをどのようにとるかが課題であるとしています。

RTBRに関しては、「少数派グループ」「マイナー言語・文化圏」「小さな地域コミュニティ」など、もともとデータが少ない主体にも「記憶される・アクセスされる」参加機会を保障すべきであるとしており、サービス運営側・LLMの開発や提供をする側は、「どのデータを用いているか」「どういう基準で情報を削除もしくは優先表示しているか」などの説明責任を果たすべきであると主張されています。

また、重要な記録については、民間組織や検索エンジンによる独占的なコントロールではなく、第三者機関・公共アーカイブによるチェック&バランスを設けるべきであると述べられており、公共のアーカイブとして保存・共有する義務を制度化することも提案されています。
さらに、アクセス不能状態やリンク切れが集積すると、デジタルの記憶が徐々に消えていく(知識の欠落)というリスクがあると論じられており、耐久性・可用性を確保する制度設計が重要であるとしています。


そして著者らは、RTBRの実現には「正確性(accuracy)」「誠実さ(honesty)」「包括性(inclusivity)」「持続性(preservation)」の4点が主要な柱であるとしています。

調剤薬局の記録にも同じことが言えます

このテーマは、調剤薬局の薬剤師の業務にも大きく関係します。なぜなら、調剤薬局においては「患者さんの情報」「処方せんの記録」「医薬品の入出庫履歴」などの、さまざまな視点から集まったデータが長期にわたって保存できる仕組みが必要であり、そして、その内容を正確に活用できる状態を維持する必要があるからです。

先ほど提示した「正確性」「誠実さ」「包括性」「持続性」の4つの側面から、詳しく確認してみます。

1. 正確性

「正確性が高い」とは、情報やデータができるだけ「実際に起きたこと」「本当にあったこと」を忠実に反映しており、誤り・バイアス・欠落がほとんどない状態を指します。

調剤薬局においては、

  • 処方せんの記録や薬歴の記録が誤っていた場合、患者さんへの健康被害に直結します。データ分析をする場合でも、「薬剤名・用法用量・服薬指導内容」が誤って記録されていれば、仮にデータを分析しても誤った知見を得てしまう可能性があります。
  • RTBRの「正確性」を確保するための仕組みとして、「記録されたデータが正確かどうか」を定期的に監査するプロセスがあると良いでしょう。
2. 誠実さ

「誠実さが高い」とは、情報やデータが「偽り・隠蔽・偽装」を含まないよう誠実な意図で作られたうえで、利用・提示される状態を指します。つまり、情報を意図的に操作して都合良く見せることがない状態です。

調剤薬局においては、

  • 薬歴の入力で「担当者がどこまで記録したか」「省略された情報がないか(服薬アドヒアランスの問題や在宅訪問で得た情報など)」を透明化する必要があります。AIが薬歴を分析して、その結果をもとに何らかのレポートを作成する際、参考にされた記録に「何が含まれていなかったか」「何が無視されていたか」が説明できないと、誠実さが低いレポートとなる可能性があります。
  • 「記録しなかった」「省略した理由」「記録の訂正内容およびその理由」は変更履歴を残し、客観的に説明できるようにすることが「誠実さ」を支える運用と言えるでしょう。
3. 包括性

「包括性が高い」とは、情報やデータが多様な「人・視点・背景・グループ」の内容を反映していることを指します。

調剤薬局においては、

  • 例えば希少疾患を持つ方など、全体の来局者数における割合が少ないグループに属する方もいらっしゃいます。これらの方々の記録やデータが、将来AIによる解析対象から除外されたり、十分に反映されなかったりすると、包括性が損なわれます。
  • もちろんデータ分析の内容によっては外れ値となる可能性は否定できませんが、「データを収集する段階で除外する」べきではありません。
4. 持続性

「持続性が高い」とは、情報やデータが時間を越えて消えることなく、改変されることなく、アクセス可能な状態で残され続ける状態を指します。つまり、将来にわたって「記憶として機能し続ける」ための指標と言えます。

調剤薬局においては、

  • 電子薬歴のデータ、処方データ、在庫分析データなどが将来何らかの用途で使われる可能性を考えると、「このデータは将来も使える形で保存されているか」「フォーマットが変わっても読めるか」「指定された人ならいつでもアクセスできる状態にあるか」という視点が必要です。
    一言で言い換えると、「機密性」「完全性」「可用性」が十分に確保されていなければなりません。
  • 調剤薬局内ではBCPの作成が義務付けられています。その中でもサイバー攻撃を想定したBCPの策定は、先述の「機密性」「完全性」「可用性」を維持するためにも重要です。

長くなったので簡潔にまとめると

  • 正確性:記録は「実際に起きたこと」をきちんと反映するべき。
  • 誠実さ:記録は「隠したり改竄したりせず」透明であるべき。
  • 包括性:記録は「多くの人・多様な視点」を含むべき。
  • 持続性:記録は「時間を超えて残り、使える状態」であるべき。

特に「誠実さ」は重要です。
例えば薬歴を書く時、たとえ自分にとって都合が悪い内容が含まれる場合でも、服薬管理に必要な情報なのであれば、客観的な視点から薬歴に漏れなく記載しなければなりません。

こういった部分をおろそかにすると、他者からの信頼失墜や患者さんの健康被害に発展する可能性があります。薬剤師の皆さんにとっては釈迦に説法かもしれませんが、あらためて「誠実な」記録を心がけていきましょう。

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